生い立ち
私は1960年12月10日宇納間神社のお祭りの日に仮死状態で生まれた。
後30分先生の処置が遅れていたら生まれて来た早々に元居た世界に還らされていたかも知れない。
当の私は全然覚えていない生まれて来た時のドラマ。
母は初めての出産を自宅で産婆さんと一緒に試みた。
破水してるのを気付かなかった産婆さんのミスの中、母は眠り産。
父はその頃自転車で母子センターの先生の元へ急いで行き、
先生を自転車の後ろに乗せて帰って来た。
先生が来てから吸引器?で私を引っ張り出してくれて無事に出産。
生まれたばかりの私の頭は長く伸びた感じで顔は紫色してたと父が話して聞かせてくれた。
それでもようやく産声を上げて。
今でも私のオデコの髪の生え際にはその時の吸引器で引っ張り出した痕が残っている。
この痕はそう言う経緯なのかと知って、これは私が生まれようとした勲章みたいなものだなと思った。
幼い頃から好奇心旺盛でじっとしてなくて囲炉裏の中に落っこちて火傷を負ったり。
でもその時も渋柿の汁を一升瓶に淹れて保管していた曾祖母のお陰で火傷の痕も残らず消えたらしい。
私に火傷の痕は無い。
両親は初めての子供の私の落ち着きの無さと手の掛かり様に2人目が生まれたら育てられるだろうか?と思うくらい心配したらしい。
が、2つ違いの妹はよく寝てくれて私とは大違いだったというオチ。
ところで、まだ生後数ヶ月の私はよく高熱を出していたらしい。
父は夜中に何度も私を病院に連れて行ったものだと話してくれた。
その熱が原因で肺炎を起こしたことがあり、大人になっても健康診断では影があると必ず引っ掛かり再検査になる。
ある日、母が実家に私を連れて帰っていた時にも熱が出て、その上高笑いを始めたことがあったらしい。
ちょうど、母方の祖母の友人が実家に来ていたらしく、
その様子を見て驚いて。
その友人はお大師様を祀っている霊能者の方で
「この子が二十歳になるまで私が預かりましょう。名前に負けている。高熱は生霊が原因だけれども愛しさ故の生霊。弘法大師にお願いして預かりましょう」
と言って下さり、以来私は高熱が出なくなったらしい。
その祖母の友人の方は私が二十歳になる前に亡くなり、
私が二十歳になった時に弘法大師様にお礼詣りした時に
祖母の友人があの世に持っていってくれてたことを知る。
私は勿論覚えていないけれども、
こうやって自分が両親の元に生まれ沢山の方々に、そして見えない世界の方に護られて育ったことを
この歳になって改めて感謝している。
私が生まれて初めて見えない世界の方で接触したのは弘法大師様。
(続く)
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