言葉。
「ありがとうございます」
この言葉を
ありがとうって思って無くても
言葉にして
毎日言うと開運みたいな…
スピスピ流行り?
みたいな時期に
そうなの〜?的なノリで
フンフンとお掃除しながら
呪文の様に
1人でぶつぶつ言っていた時。
突然、梵天様が
「さっきからお主は何をありがとう!と馬鹿のひとつ覚えの様に何度も何度も言っておるのじゃ?」
えっ?
えーっ?
馬鹿のひとつ覚え??
「梵天様〜。先日ラジオでも言ってたし、
ありがとう…とか声掛けると植物や水や、
もちろん発する私も
波動が上がって開運するって聞いたんですよー。
なのでちょっとあやかって。」
梵天様は
「感謝もしていないのに、ただ、ありがとうと言っても何の意味を持つのかのう。
確かに、言霊と言うものにはエネルギーがある。
しかしのう、感謝の意もない言葉を繰り返し使っても虚しいだけじゃ。」
そう言って
梵天様は帰って行かれた。
ひとり私はしばし色々考えた。
ありがとうと言う言霊には
もっと深い意味がある。
感謝をしよう、感謝をしたいね、とかは
感謝して無い状態。
本当に感謝をしてる、感謝した時は
ありがとうって言葉に
感謝の想いや気持ちが乗っかって
ありがとうの言葉が言霊になる。
それ故の
言霊。
もちろん、ありがとうだけでは無く
ごめんなさいや愛してるや
沢山あるけれど
人が体験してこその言葉なんだよね。
呪文。
これもエネルギーを持つ。
エネルギーは
存在してるだけで
良いも悪くもなく
人の意識が解釈してるだけなんだって。
人の意識の使い方次第。
だから
観音様は魔王を体験しなきゃ
本物の観音様になれない。
魔王は観音様を体験しなきゃ
本物の魔王になれない。
って聞いたことある。
人間は善と悪でもって人になる。
片方だけでは完成しない。
などなどエトセトラ。
あの日
もう随分と遠いあの日
馬鹿のひとつ覚えと言って帰って行かれた梵天様は
その後
私が理解をするまで
どんなに呼んでも来て下さらなくて
あれこれ考え
あー、そうか‼︎ と頭の中でたどり着いた時
ひょっこりと
「なんじゃ。」
と言って来て下さった。
もう繋がって貰えないのかと思い
哀しかった私は
私に理解しやすい様にひとつひとつ丁寧に教えてくれる存在がいることに
有り難くて涙出た。
今まで沢山の存在に見守られ育てられ
今の私が存在する。
あの頃の私は
本当に何も分かってないくせに
分かったふりして。
今は三面大黒天様に見守られ
ミッション達成に向けてノリノリ。
不思議じゃないけど
このブログに何を書いてるか
全部お見通しで
たまーに感想を言われる。
「もっと面白く書くがよい」
うーーーむ。
0コメント